日々のあぶく


うたかた。漢字で書くと、“泡沫”。
毎日ぶくぶく吐き出されては消えていく、
私のひとりごと。





名前のはなしともだち遺言死ぬまでにしたい10のこと私のカフェ遍歴#1なにもない
ちひろに寄せて






名前のはなし

私の名前は「彩子」。
昔はきらいでした。
でも今はすき。漢字から好きになった。
彩るひとっていう意味でしょう?
まわりの空気や、一緒にいてくれる人たちをきれいに彩れるような人になりたい、この名前みたいに。
そう思うようになった。

下の文章は、就活対策でキャンパる内の3年生で「文章講座」というものをやっていて、
そこで書いたもの。ちなみにそのときのお題は「色」。
いくつか選べる中で、このお題を見て、名前のことを書くしかない!と思って。
出来うんぬんは別にして、お気に入りなのでこちらにも載せてしまいます。


「彩るひと」
 
 物心ついた頃から、私は自分の名前が嫌いだった。色彩の彩に子、と書いて「あやこ」。
ありがちで何の変哲もない。
名前に自分だけの特別感を求めていた私は、
小学校や中学校で自分以外の「あやこちゃん」に出会うたびに、
もっと特徴のある名前がよかったのに、と親を小さく恨んだ。
下の名前で呼ばれるのは、どこか嫌だった。
 
 高校一年の夏、アメリカにホームステイに行った。
そのとき一緒にステイした友達が、自己紹介のときに自分の名前を英語で説明していた。
彼女の名前は早霧。早朝に漂う霧がその由来だ。
「モーニングミスト」と言う彼女に、アメリカ人は大げさにふむふむ、とうなずく。
そのやりとりが果てしなくうらやましく見え、
自分の名前はどう説明すればいいのか、一生懸命考えた。
物の名前が由来ではなく、発音も普通だった私の名前が行き着いた先は漢字。
漢字の意味をそれぞれ説明しよう、と思い、和英辞典で「彩る」という字を調べてみたのだ。
そこで出てきた言葉に私は驚いた。
カラー、という語がそこにはあった。
そして、はたと気づいたのだ。自分の名前の素晴らしさに。
 
 彩る、ということ。
周りに色をつける。時には華やかに、時には物静かに、その場の雰囲気に色を添えていく。
そういう願いが、この「彩子」という名前にこめられていたのだ。
それまで、読みの平凡さばかり気にしていて分からなかったことだった。
自分で、周りを心地よい色に染めていく。
そういう意味の名前だと気づいたときに、私の中で何かがふっきれた。 

 今、私は、自分の名前がとても好きだ。
彩という一文字の中に、あふれる思いをこめてくれた親の気持ちも、
やっときちんと分かるようになった。
この名前にふさわしい、周りを彩れる人になることが、今の私の人生の大きな目標だ。





ともだち
いろんな場所をうろうろしているくせに、多分知り合いはそんなに多くありません。 でも、私の友達は少数精鋭。みーんな素敵。 この点に関しては、もう自信満々です。 「あなたの誇れるものはなんですか?」と聞かれたら、 「自分に関しては何もないけど、ともだちは誰にも負けません。」と答える。 なんでか知らないけど、そういう運にはものすごく恵まれてると思う。 恋人は離れている可能性を常に孕んでいて、とても不安定でぐらぐらしているけど、 友達に関してはもう100%自分を投げ出して頼ってしまう。 そういう意味では恋人に対してよりも全然安心して向き合える。 うまく言えないのですが、友達がいるお陰で自分が立てているんだと思ってます。 近くにいてすぐ会える人も、そうじゃない人も、みんな大切。 いつも、心の底から感謝しています。 ありがとう。だいすき。





遺言
このご時世、いつ死んでしまうかわかりません。 明日もしかしたらこの世にいないかもしれない。 けっこう本気で、そう思って生きています。 悲観的になってるわけじゃなく。だって物騒だし。 それでヒステリーになったりとか、絶望的になったりとか、 投げやりになったりするんじゃないんですが、 でも私はわがままな性質で、いきなりぽっくり死んじゃって、 そのあと自分の思い通りにならずに普通にお葬式とかやってもらうのはいやなので、 ここに遺言を載せようと思います。 あ、死のうとしているわけではないです。念のため。 では、死後家族に手紙を書いているつもりで。 ********* 私が死んだ後、お葬式はしないでください。 あんな、白と黒の幕がべーっと張られて、お坊さんがずーっとよく分からないお経を上げてて、 参列する人もお焼香何回やるんだっけ?とか思って形式を気にするほうが大きくて、 そのくせ結婚式の何倍もお金がかかるような、 そんな非生産的なのはやってほしくなーい。やだやだ。 大体、あの雰囲気からキライなの。重苦しくて、お経とか変なかんじだし。 お葬式とかお通夜とか、そんなのしないでいい。 そのかわり、といってはなんですが、献花をしてほしい。 きれいなお花にたくさん囲まれることは、すごくうれしい。単純に。 生きてる時に多分そういう機会は無いから、死んだ後くらいせめて、ね(笑)。 そして、大きな“お偲びパーティー”をしてほしい! 友達とか、気軽に来れるような、気取らないパーティーを。 私の友達たち、たとえば地元の友達と大学の友達、とか、 面識が無かった人たちが出会う場所になるような。 私が死んで、悲しんでもらって終わり、っていうのはすごくいやだから。 私が死んだら死んだで、それから何かまた生まれていく、そういうのがいい。 それをきっかけに、私が大好きな人たちが、新しく知り合ったり友達になったり意気投合したり、 あわよくばそこから恋が芽生えちゃったり、そういうの。 無理に明るくしろとは言わないし、そりゃあ故人(わたし)を偲んで話をしてもらいたいし、 でもそれをきっかけに出会いが生まれて新しいものが生まれたら、そんなに嬉しいことはない。うん。 遺骨、は。 3分の1はうちのお墓に。 後々お参りする人のためには、やっぱり一つのお墓に少しでも入っていることが必要かな、と思うので。 でも、ぶっちゃけ私はお墓自体があまり好きではない、ので、 一握り(まあどれくらいでもいいんだけど)は、ドイツのボーデン湖もしくはパリのセーヌ河に流してほしい。 いや、やっぱボーデン湖、がいいかなあ。 スイスのナポレオンミュージアムのあるとこ(名前忘れちゃった)の川がいいな。 ともかく、あの辺。きれいなとこがいい。 水になって、海に出たり蒸発して大気に混じったりして、地球を回りたい。 生きてたら行けないようないろんなところを、空気になって巡る。今から、壮大な夢(笑) そうすれば、私が大切に思っている人を傍らでひっそりと見守ることもできる。 その人が一人で泣いているときに、どうしても他人に頼ることができないときに、雨になって優しく降り注いであげたりできる。 地球を包み込む、その一部になれる。生きている一介の人間じゃあ到底できないこと。 あと、ほんの少しだけでいいから、母校(中学・高校。め、から始まるところよ)にひっそりとまいてほしい。 私が一生で一番好きだった場所。たくさんのきらきらした思い出を創り出していた場所。 そこで、後輩達を見守れればいいなあ、と思う。 ・・・本当はうちのお墓じゃなくて学校に埋めて欲しいくらいなんだけど、 でもまあそれは。怖がられちゃうし。あくまでも、ひっそりと。 遺産は、どうせ大してないけれど、 もし残ってたらどこかに寄付してくださいね。 そのとき、一番援助を必要としているようなところに。 家族にあげるとか、それも考えたけれど、 少しでもたくさんの人になにかしてあげられるって何だろう、と思ったらやっぱり寄付な気がするから。 アフリカの難民キャンプでも、紛争中の国に、でも、どこでもいい。 海外の、生活するのも大変な、生きる底力も湧かないほどつらい環境にあるところに。 あとは、何かあるかしら? 土地も持ってないし家もないし、だんなさんもいなければ子供もいないし。 案外身軽なもんなのかもなあ、今の私って。 あ、持ってるアクセたちはお友達に山分けで。 イヤーカフスで作ったネックレスと、青い石のピアスと、それはお棺に入れて欲しいけど。 あとはみんなにどうぞ!ってかんじ。 もし欲しがる人がいれば、ですが。 わがままついでに、毎年命日にはみんな集まってパーティーをしてね。 友達や知人やたくさん連れてきて、また新しい出会いを毎年毎年重ねていってほしいと思う。 そしてみんなでシャボン玉をして私を思い出して(笑)! ********* こんなもんかな。 本当は、遺言っていろいろ法的に決まってて、 それにのっとってないと有効にならないらしいんだけど。 でもお金が絡んでるわけでもないし、私の意志ってことで、 もしいきなりぽろっと死んでしまったらこれのことをうちの両親とかに知らせてあげてくださーい。 読んだ人、よろしく。そこのあなたですよ。 読んだからには責任果たしてくださいね。ふふふ。 しかし、この話を以前友達にしたら、びっくりされた。 やっぱりわがままなんだろうなあ、私。 思い通りにならないと嫌!って思うんだもん。 でも、生きてるときはどうにかなっても、死んじゃったら自分じゃどうしようもないですからねえ。 といってわがままアピールっぷりをフォローしてみる(笑) これから人生どんどん変わってくと思うので、 これも気が向いたら変えていこうと思います。 しかし、一安心!ずっと前から、遺言どっかに書かなきゃって思ってたんだよね〜。 これでぽっくり死んでしまっても大丈夫だわ(笑)!





死ぬまでにしたい10のこと
ちょっと前に、こういう題の映画があって、それから派生して流行ったらしい。 「私の“死ぬまでにしたい10のこと”を考える」。 ブームに乗って、というかとっくのとうに乗り遅れなんですが、考えてみました。 私が死ぬまでにしたい10のこと。 あ、これは上のところでも断ってるけれど、 死ぬ死ぬとか書いててほんとに死ぬ気があるわけじゃないですよ。 そういう心配はせぬように。 ではでは。いきます。 ・ロモを買う。それで、周りの人たち、みんなの写真をとる。 ・撮った写真でアルバムを作る。  スクラップとかも、しちゃったりなんかして。 ・上と似たようなことだけど、大切な人たちに手紙を書く。  なるたけたくさんの人たちに。  大好きです、今までありがとう、と思いのたけをここぞとばかりに心 を込めて書き綴る。  (もちろん死ぬことは教えない。心配させるから。)  出しそびれている手紙も出したいなあ。  私実は、よく手紙を書くんです。で、それを出したり出さなかったり してて。  友達や彼宛てで書いても、投函してないものとかも少なからずある。  それを、出そうと思ったやつを、出したいな。   ・ミャンマーと、バリと、インカの遺跡と、ドイツへ行く。  というかね、原子炉の掃除(被爆率100%!でも一回のバイトで何十万ももらえるらしい)でも何でもして、  一刻も早くまとまったお金を作って、行きたかったところへ飛ぶ!!  ミャンマーへは、遺跡と水上マーケットを見に。  バリへは、彫金とかガムランとか習いに。  ドイツへは、もちろん親戚に会いに!!  おばさんやおじさんや、何よりも従兄弟!!  彼にhugしてもらいにいく。何よりもどこよりも、それが優先。  大きくて力強くて、でも優しいhug。心から安心する、幸せになる、世界で一番好きなhug。  これをせずには死ぬにも死に切れません。 ・行きそびれていたカフェへ行く。  これはもう、たーーーくさん。  いける限り、時間が許す限り、カフェに行きたい。 ・残せないものを燃やす。  …やっぱり、死んだ後見られたくないものは抹消するしかないっす。 ・パーティーを開く。  できるかぎりたくさんの知人友人を呼んで。 ・遺言を、きちんとした形で書く。 ・バンアパのライブに行く。  聞き納め。聞き惚れ収め。死ぬ前に、もう一回聞きたい。 ・本をつくる。 こんなもんかなあ。 あ、そのとき好きな人がいれば、告ると思う。 あれしとけばよかった、っていう未練を残したくないんだろうなあ、っていうのが見えてきますね。 これ、きっと時がたつごとに変わっていくんだろうなあ。 しばらくたって、どこか変わったら、またPart2を書こうかなあ。 <2004年2月28日>






私のカフェ遍歴#1
私はカフェが好きです。 そこは、いつもの生活の隙間の小さな非日常。 いつも少し短かったり、長かったりするその日の私の時間を、ふっと正常な感覚に戻してくれる場所だから。 テーブルの上に、その時抱えている思い――やりきれないものだったり、またとんでもない幸せだったり、決断だったり迷いだったりする――を置いて、眺めてみる。じっと静かに。 ほっとするドリンクやおいしいごはんを食べながら、そのお店の空気に飲み込まれながら、 テーブルの上の思いと対峙したり、寄り添ってみたり。 だから基本的に、一人で行くカフェは、 おしゃれでスタイリッシュなところではなく、落ち着けて時間の流れが柔らかくてゆるいところ。 その日の気分や心の調子に耳をすませて、どこに行こうか一生懸命考えます。 いつごろから好きになったんだかなあ、とふと考えてみました。 昔はコーヒーさえ飲めなかったのに、いつからカフェなんてものに惹かれるようになったんだろう。 しかも、オシャレな響きだから惹かれるとか、そういうのは大っ嫌いなのに。 ブームに乗るのもキライなのに、どうしてこんな流行の真ん中を行くような好みになっちゃってんだろう、と。 ********** 初めてカフェに入った記憶。 これが、ないんですねえ。いつだか分からない。 でも、はっきりと意思を持ってこのお店にはまった、っていうのは、高1の頃。 高1の終わりごろ、かな?中3?ともかく、そのくらい。 それもよく覚えてないけれど。 「Bagle and more espresso bar」という、原宿の竹下通りの近くのお店でした。 そこは確か、non noに載ってたところで。 うろ覚えだから確かじゃないけど、広末と池内くんが原宿デート、みたいなページだったと思う。 ベーぐる?ふうん。。。と思って初めて行ってみたのでした。 そこは、ベーグルを取り扱っているだけあって、外国人のお客さんが多いお店だった。 英語の雑誌とかもたくさんあって。 騒々しい明治通りから外れて、ビルのドアをくぐり、 ギャル服ショップのひしめく中を階段を上った二階に、輸入食品店と並んでさらりと開いてた。 息苦しい地上の喧騒を浄化して、心の風通しをよくしてくれるような、そんな場所だった。 イメージだけ、すごく鮮明に覚えてる。 真ん中が吹き抜けになっていて、なんとそこにはヨットがあった。なぜか。 見た目爽やかなんだけど、冬場はけっこう寒かったなあ(笑) 私はそこでベーグルの味を覚え、はまったのです。あの硬さ、かみごたえに。 以来、ちょくちょく行ってはベーグルを買ったりドリンクを買ったり・・・。 その頃、夜に遊んで帰る、なんてことは論外だった。 学校、部活、まっすぐ家に帰る。そんな生活。それに関しては不満も特に無く。 でも、誕生日の日に、どうしてもそのカフェのベーグルとケーキを食べたい、と思ったのね。 年に一度だけの大切な日に、大好きなベーグル食べるんだー!一年に一回くらい贅沢してもいいじゃん!みたいな。 で、その日だけお母さんにお許しをもらって、学校帰りいそいそと原宿へ向かった。 今思えば、ひたむきでばかでかわいかったなあ。 お店で、念願のベーグル食べて幸せに一息ついて、ケーキを頼んだ時に店員さんに「今日誕生日で来たんですよー」って話をした。 ら、なんとその人がケーキをご馳走してくれて、その後隣の輸入食品店でPEZ買ってプレゼントしてくれて。 もう、本当にうれしかった。きゅーっと幸せになった。 今でも、このことを思い出すと幸せな気持ちがよみがえってきます。 もったいなくて、ずっと食べられなかったもん。 家の棚に飾ってた。PEZ。マリオの顔がついてるやつ。 (多分、まだある気がする・・・) その後、どうしてもお礼がしたいと思ってクリスマスにプレゼントを渡しに行ったり、 それでその店員さんと仲良くなったり・・・。 ここにまつわる思い出はたくさんあります。 たくさん、というか、自分の心の中で占める割合がとっても大きい。 結局、だんだん足が遠のいて、久しぶりに行ったらその店員さんがお店をやめるってことを聞いて、 ショックを受けてたらそのお店はいつのまにかなくなってしまいました。 なくなるだけではなく、なんとでっかいブックオフになってしまいました。 久しぶりに原宿に行って、新しくオープンしていたブックオフを見たときは、ほんとに泣けてきた。 思い出よさようなら・・・みたいな。 自分の思い入れがあるお店でも、それが店である限り、無くなっていくもの。 それからいくつかのお店を偏愛し、そういう痛い思いを何度も味わうことになるのだけれど。 今思えば、あのベーグルカフェが無くなった時(そしてブックオフになっちゃったのを見たとき)が、 そういうことを痛く痛く実感した、最初の時だったな。 それと平行してか、もう少し後に出会ったお店。 「cafe room room」っていう、やっぱり原宿にあったお店。 これはたしか、オリーブのカフェ特集に出て知ったんだったと思う。 なんとなく行ってみて、そこの雰囲気にどうも居心地のよさを感じてしまった。 あとから、そこが東京おうちスタイルカフェの先駆け=元祖って存在だったということを知り、びっくりしたなあ。 もともと期間限定でやってるお店だったから、当初の予定よりは大幅に伸びたけど、やっぱりそこも無くなってしまった。 でも、そのお店で私はやっぱりいろいろな物に出会った。 DURALEXのコップとか―私の手にすっぽりはまる、このブランドのピカルディーってラインは、 まさに私の運命のグラスだと今でも思う―、 深い色みの木目とか、しっとりと年季が入った古本、とか。 スムージーとか、ピタサンドとか。 そこで偶然DMを見つけて知り合ったアマチュアの写真家、nanaさん。 彼女の作品を見て、私は生まれて初めて写真を見て泣いた。 この二軒のカフェを思い出すと、 高校時代のさっぱりしてたなつかしい時間の雰囲気が自分の中によみがえる。 私の、元祖思い入れカフェ。 ああ、長くなっちゃった。続きはまた今度。




なにもない
私は無趣味。 こう言うと驚く人もいるかもしれないけど。 もちろん、いろいろ好きなことはある。 おいしいものを食べること気持ちよく寝ること物を作ること旅をすること チャリにのること写真をとること本を読むこと 映画を見ること楽器を吹くことカフェに行くこと お菓子をつくること街探検すること 美術館に行くこと ・・・でも、「これ!」って一つ決めてるものは無い。 ぜーんぶ中途半端。 みんな好きだし、好きだけど、なぜか続けられない。 うちの父親は、ゴルフを極めた人だ。 日大のゴルフ部で、本当に毎日ゴルフに明け暮れる人生を送り、 大学生の時には学生の全日本チャンピオンになった。 プロの道は選ばなかったけれど、今でももちろんプレーも続けていて、 うちの応接間には父の取ったトロフィーがずらりと並んでいる。 「=ゴルフ」と書いてしまっていいほど、一つのものに人生を貫き通した人。 そんな父の、私たち(妹と私)への口癖は「ひとつのことを続けなさい」。 ずっと、この一言を言われ続けてきた。小さい頃から、ずっとずっと。 でも、どうしても私にはできなかった。 素晴らしいことだとは分かっていたのに。 お父さんのことをすごいと思っているのに。 いろいろなものに手を出してはぽいっと投げ出す私に、父はいつも諭すように言う。 「ひとつのことを続けなさい」「続けてみなさい」 わかっているんだよ。でもどうしてもできないの。 つまみぐいばっかりして、いろんなものをうらやんで手を出して、結局みんな中途半端。 一つ筋を通してるものは何もない。 ・・・ただ一つ続いていることは、私が私でいることだけだった。 それだけには自信があるけれど、自分を偽らないように生きてきたけれど、 そんなの誇れることじゃない。 例えば読書好きな友達のサイトを見ると、読んだ本のリストがずらりと出てくる。 新しいHPに似使わず充実しているそのリストは、本当に読書好きだということをただ語っていて、 そこを見るたび私は密かに泣きそうになり、 自分の空っぽさを、身体の内側がすうすうするくらい感じてしまう。 私が一つ真ん中に持っているものは何なんだろう。 ナンダロウナンダロウナンナンダロウ 物心ついてから持ち続けているこの問いを、 無意識のうちに今日も自分にひるがえす。 忘れるには言い聞かせられ続けてしまった。 でも物事を受け止めたり事実を冷静に見られるくらい成長した私は、 問い続けても自分には答えなんてないことを分かってしまっている。




ちひろに寄せて
いわさきちひろ美術館に行った。 その時に書いた感想文が「毎日夫人」に載ったので、 せっかくだからここにも載せようと思います。 あ、「毎日夫人」っていうのは、 毎日新聞が出してる月刊の無料配布の夫人向け小冊子。 つまり、新聞取ってる人に月イチで配る薄い冊子のこと。 キャンパるに「誰か書いてくれる人いない?」って話が来て、 友達と一緒に「やりまーす」としゃしゃり出たのでした。 ***** はっきりと覚えていないけれど、昔どこかで見たことがある。 淡くて優しい子どもたちの絵は、小さい頃のおぼろげな記憶と共に、 ふわりと私の子ども時代の思い出に重なっている。 それが私にとってのいわさきちひろだった。 遠いような近いような、でも間違いなく存在している、そんな位置のひと。 しかし今回初めて彼女の美術館を訪れて、そんなおぼろげなイメージは一変した。 鉛筆での力強いデッサン、しっかりした線で輪郭をかたどった人物画、 はっきりとした色使いの紙芝居の作品。 もともとのイメージだった、水をたっぷり含んだ繊細な水彩画は、 彼女のほんの一部分だった。 ずいぶん驚いた。こんなにたくさんの顔を持っている人だったなんて。 幸せな時間ばかり過ごした人ではなかった、ということも、初めて知った。 幼い頃は見えなかった、作品の後ろにある影の部分。  昔の記憶にはない生身のちひろが、どんどん私の中で像を結んでいくのが分かった。 不思議なことに、彼女の印象は今も変わらない。 人に対する優しい視線はどの作品を見ても同じだった。 影の部分は、逆に力強く彼女の作品の魅力を支えているのだ、きっと。 そう感じた。 *****



女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理